甲骨文字から楷書に至るまでの漢字の変遷について

甲骨文字、これは文字通り亀の甲羅や牛の肩甲骨などに刻まれる文字であります。
亀の甲羅とはいっても、踏んで猛スピードで飛ばすような甲羅じゃありません。
しかしなぜよりにもよって字を書きにくそうな骨なんかに字を書いたのか。
それは、祭政一致の政治で、儀式の際に神からの預言を残すためなのです!
はい、骨というと、宗教的なにおいがぷんぷんしますし、保存も利きます。
まあ要するに神聖文字ですな。
そして、甲骨文字とほぼ同時かやや遅れて登場するのが「金文」であります。
これは、神々と祖先に生贄と供え物を捧げるための神聖な器具、青銅器に掘り込まれたものでありまして、大体十文字未満で書かれ、文章というよりは、その青銅器で祭られる祖先神の名前やそれを作らせた人物の属する氏族のエンブレムなどが記されているのです。
その意味で言うならば、この時代の文字はどちらかというと記号的な意味が強いものでした。
そうです、これから漢字が文字としての体裁を持ってくるのです。
それが、秦の時代から使われだした「篆書」です。
実はこの篆書、秦の皇帝の偉大さを称える文字なのです。
だから、これまでのいかにも時代遅れな象形文字みたいなものでなく、皇帝らしくかっこいい字体なのです。
さて、それと時期を同じくしまして、中央集権体制としまして、郡県制が敷かれました。
そうすると、郡やら県やらがたくさんできてきて、情報伝達が大変!
だから、口頭による情報伝達でなく、確実に情報を伝えて、証拠を残せる文書での行政になるわけです。
しっかあーし!
いちいち亀やら牛やらを殺して骨を得なければいけない甲骨文字やら青銅器の壷やら皿やらに書かなければいけない金文だとか、皇帝様専用のかっこいい篆書などは問題外なのであります。
そして時代は、骨や壷や石版から、竹簡・木簡をメディアとして使う時代と変わってゆきました。
(とはいえ竹簡・木簡自体は甲骨文字の時代からあったそうですが)
そのころは王様やら貴族並みの大金持ちではない貧乏小役人、言ってみれば地方公務員も普通に字をかけなければいけない時代。
軽くて安くて石や骨ほどにはかさばらない、そして何より文字を書きやすい木や竹が当たり前となったのです。
そしてもちろん字そのものも彫ったり鋳込んだりするよりも、筆で書くのに適した字となるわけです。
その字は、それを書く地方の小役人が「隷」と呼ばれたことから、「隷書」と呼ばれています。
大篆というのは、始皇帝様のかっこいい篆書と貧乏小役人のお手軽隷書の共通の祖先であります。
この隷書では、大篆を改良し、象形文字っぽく書きたいように書いていた部分を整理し、わかりやすく体系化しました。
だからこそ馬鹿小役人どもにも普及させることができたわけですね。
結構完成体に近かった隷書ですが、それで終わりなら現在の楷書が登場できないというものです。
ついに出ました!今でも通用する草書と楷書!
さて、隷書は漢の時代まで愛用されていたわけですが。
隷書の地位を揺るがす大事件!
匈奴とかから異民族が攻め込んできたんです。
馬を乗り回す強敵の騎馬民族漢民族は勝てなかったので逃げた。
北から攻め込まれたので南に逃げた。
南には川があるので馬には渡れない。
隷書を脅かすもうひとつの存在、それは紙の発明でした。(それまでは木や竹)
かさばらないとはいっても厚さが1cm近くもある竹簡に比べて、1mm未満の脅威の薄さの紙はあらゆる方面の人々から喜ばれました。
しかも、竹簡のよさであった、軽さ・安さも紙のほうが一枚上手。
保存性は竹簡にはかないませんが、それらを補って余りある長所が紙にはあったのです。
しかし、そんな紙にも決定的な弱点がありました。
そう、そうなんです!破れやすいんです!弱くてデリケートなんです!
だから、強くてバリケードな竹簡に書く感覚で紙に字を書くとビリっといっちゃいます。
紙の普及のためには、竹にガリガリ書く方法から、紙にサラサラ書く方法に移り変わる必要があったのです。
それこそが「草書」。
サラサラサラサラサ〜ラサラ書けるミミズのような字体です。
紙にも優しいミミズの字体「草書」により、問題は解決されました。
強いて問題があるとすれば、漢がそのころ北方民族に負けていたことでしょうか。
それで開き直ったのか何なのか、貴族たちは戦いなんてくだらんとか考えるようになりました。
それで貴族たちは明けても暮れても文化やら芸術のことやらを話し合うようになりました。
戦争やら行政やらは二の次三の次です。
で、その矛先は草書や隷書に向けられました。
「草書や隷書はイナカくさい。もっとナウい字体はないのか」と。
そしてまた、貴族趣味以外にもナウい字が必要とされた背景があったのです。
それが「科挙」制度。
一言で言うと、科挙が楷書を浸透させた。
科挙国定教科書が楷書で書かれていた、というか楷書の本を使ったのも実は貴族趣味だけど。
こうして現在の漢字の完成体「楷書」ができ、千年以上もたった今でも使われ続けているのです。

も少しきちっとしたのは「TGWS>学習帳>甲骨文字…→楷書」にて。