戦いはドラマだ(RPG)

唐突に何か。
私は、RPGを「なんだかんだと理由をつけて戦うゲーム」と考えている。
そりゃストーリーも重要かもしれない。
だけどストーリー的に重要なイベントは決定ボタンを押しつつ眺めるだけだ。
そんなのだったらゲームなどという枠ではなく、フラッシュとして腐るほどインターネット上に散乱している*1
RPGにおいてゲーム的な駆け引きが最も生じるところ、それはすなわちバトルなのだ。
イベントは言ってみればそれに対する動機付けやご褒美に過ぎない。
RPGのゲーム性といえば謎解きも重要だが、これもバトルと考え方はほぼ同じなので省略させてもらう。
かくも重要な「バトル」、重要なのだから重要なりに、それぞれ目立たせたい。
ボスは言うまでもない。
誰だって誰に言われずとも個性豊かで特別な存在にする。
もちろん、それはストーリーに関わるからだ。
しかし、ザコの扱いは、多くの場合悲惨だ。
世界観に合いそうなキャラ、場所に合いそうなキャラなどを、適当に選んでパラメータを調整してランダムで出現させるだけだ。
確かにザコは、倒されることこそ仕事で、とにかくたくさん出てきて、ストーリーにはあまり関わらず、あまりプレイヤーの記憶には残らない。
しかしそれは、テレビ番組におけるCMのようなもので、ストーリーに関係なくても出てきて、さらりと受け流される運命にはあるけれども、それでも心のどこかに少しだけ残る、そういうものではないのか。
テレビCMには必ずアピールポイントがある。
多くの場合は商品であるが、RPGの場合、アピールするのは目の前にいる敵たちである。
もちろん番組本編であるボス敵よりもすごくてはいけないのだが、ザコはザコなりに引き立たせてやりたい。
短いCMの中にも商品をアピールするというドラマがあるように、ザコ戦にもあっさりやっつけるというドラマがある。
そのドラマは「敵が現れた!」「敵をやっつけた!」「YOUWIN!」でいいのか。
CMで言えば「○○という商品です!」「こういうときに使います!」「買ってください!」のようなものだ。
テレビショッピングのように、戦うことそのものが究極目的であるゲームならそれでかまわない。
むしろそうするべきだ。
しかし、RPGの場合はそれは恒常的に起こるイベントだ。
このバトルという名のドラマを区切るメッセージは、果たしてみんな同じでいいのだろうか。
いいという考え方もある。
ドラクエのように、ラスボスでさえも「ゾーマをやっつけた」で終わるのは実に潔くて気持ちいい。
しかし、私はあえて逆の方向を目指そう。
〜中略〜
突き詰めていけば、多様性と一貫性の問題か。

*1:それを言うならRPGだって掃いて捨てるほど散乱しているわけだが