ゲームの記録って楽しいのか

※2006/12/07の日記を再掲載したものです

ゲームって、楽しければいいですよね。
だけど、ゲームをやっていて楽しくないことも多々あるんです。
それが、単なる記録作り。
コレクション要素をひたすら集めたりとか、主人公をひたすら強くしたりとか。
なんでそんな要素ができちゃったんだろうと考えてみます。
私はゲームをやった後急に虚しさがわきあがってきたり激しい後悔が生まれたりすることがあります。
自分は何を一体無駄なことをしているんだと。
その時その時は楽しくてもやめればもう楽しくない、後に何も残らない感じが嫌なのです。
じゃあ、後に何か残せばいいじゃないか、という発想がここで出てくるわけです。
ゲーム記*1を見てわかるように、ゲームのいろんなことを記録として書き残しています。
後で見てその時を思い出して感慨に耽るときもあります。
そんなことだから、ゲームそのものの、得点とか、集めたものとかも、それはもう大切なのです。
きっとそういう人が多かったんでしょうね、そうでなくても少なくとも開発者は記録の大切さを感じていたのでしょうね、ゲームにセーブ機能がつけられるようになると本当にいろんなことを記録するようになりました。
初期は得点、時期が進むにつれてゲームの進行度、ハイスコアを出したときのリプレイ、本編とは関係ないお楽しみ要素、本当にいろんなことを記録するようになりました。
記録されると終わった後も楽しい、もっと記録するともっと楽しい、そんな連鎖でどんどん記録するようになったんだと思います。
だけど、同時に記録があまりにも増えすぎたために、記録のためにのみプレイすることができるようになってしまうのです。
ハイスコアをひたすら求める程度ならば、テクニックを磨いたりこり高い得点法を考え出したり、張り合いがあるものですが、しかし、近年増えてきた「記録のための記録」のような記録のためのプレイであると、記録更新されなければただ苦痛だし、更新するためには張り合いの無い反復作業を延々と続けさせられることも少なくありません。
ゲームの記録って、たくさんあるから、とか、すごい記録だから、とかじゃなくて、楽しんだ結果だから、記録する、というのが、健全だと思うのです。
そう思ったのです。

*1:私のサイトのコンテンツの一部→http://tgws.fromc.jp/game/